小野神社と小野篁神社

 

小野神社

湖西線の小野駅から徒歩約20分のところ滋賀県大津市小野に小野氏一族の氏神社である小野神社がある。祀れているのは天足彦國押人命と 米餠搗大使主命(たかねつきおおおみのみこと)の二神である。

米餠搗大使命は、遣隋使として随の国に赴いた小野妹子(おののいもこ)の先祖で、孝昭天皇の第1皇子である天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)の7代めの孫にあたり、応神天皇の頃に日本で初めて餠つきをしたと伝えられており、菓子作りの神様として菓子業者から広く信仰を集めています。10月中旬の祭礼があります。

小野篁神社

 

 

小野篁(おののたかむら)(802~853年)

平安時代前期の学者、歌人であり、遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、孫に三筆の一人小野道風がいる。834年に遣唐使の副使に任ぜられるが、838年に正使藤原常嗣との諍いから、病気と称して職務を拒否したため、隠岐に流された。2年後に許され、後に従三位参議に至った。

小倉百人一首の歌「わたの原八十島かけて漕ぎ出ぬと 人には告げよあまの釣り舟」は隠岐に流された際の歌である。

小野篁神社は小野神社の摂社として、小野神社と同じ境内にある。切妻造の本殿が木々の中にひっそりと祀られている。写真に示すように室町時代前期の建物である切妻造の本殿は、重要文化財に指定されており、全国的にも珍しいものである。この神社に祀られている小野篁は、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしたとの伝説のある人物である。

小野神社

小野神社から500メートルほど南に小野神社の摂社小野道風神社がある。暦応4年(1341年)の建立とされ、唐草彫刻が施されていおり、重要文化財に指定されている。

平安時代の書家、小野道風を祀っている。小野道風は、柳に飛びつく蛙の必死の姿を見て書に励んだエピソードが知られている。